ビートルズ2

永遠の未完成曲

文 ブレイク屋西兵衛

ビートルズの後期作品「アクロス・ザ・ユニバース」をご存知だろうか。
クレジットはレノン=マッカートニーとなっているが、実質的にジョン・レノンの単独 作品で、シングル発売される予定が、仕上がりがイマイチだったため見送られた。ビートルズの「隠れた名曲」とも言われるが、「イエスタデイ」や「へイ・ ジュード」は「隠れた」なんて言われないから、やはり、この曲には「何かが欠けていた」のだと思う。

「本当に良い歌は、メロディーがなくても歌詞だけでその価値を見出せる歌であり、それに該当する曲こそが、アクロス・ザ・ユニバースである」
ジョンは自信満々にそう言っているが、「完璧な詩」がヒット曲になるかといえば、逆の場合の方が多いような気がする。要するに重すぎるのだ。
曲中に何度も反復される、Jai Guru Deva Om(我らが導師、神に勝利あれ)のフレーズも意味不明で、難解な歌詞がますますわかり難いものになってしまっている。

「あの歌がちゃんと演奏されたことなんてないんだ」
「僕の傑作をぶちこわそうとしていた」
ジョンは激しい言葉でポールを批判している。
「ポールの曲の時は時間をかけて実に細かいところまできれいにしていったのに、僕の曲になるとルーズで、いい加減で、実験的な雰囲気になってしまうんだ」
死の直前まで、ジョンはブーたれていたようだが、それはお門違いというものだろう。
「アレンジの際、ポールは音楽的に解り易く説明してくれたので、後はそれに基づいて譜面を書けばよかったけど、ジョンは抽象的な表現だけで説明してくるので苦労した」
プロデューサーのジョージ・マーチンは、そう証言している。 楽器演奏能力が他の3人と比べ、各段に上だったポールの指示が具体的であり、ジョンは曲のイメージが頭の中ではっきりとまとまっていなかったか、あるいは楽器や編曲の知識が貧弱で、それを言葉で説明することができなかったかのどちらかだろう。
ポールの代わりを「女」に求めたが、結局、無理があったということではないか。

ビートルズは、どうして解散したのか。
ファンになりたてだった中学生の頃には、考えても、考えても、結局分からずじまいだったが、大人になって、年齢を重ね、いよいよ、じいさんになりつつある今、4本のDVDを見ると、その理由は、かなりはっきりしていたように思える。

ジョン主導できたロックンロール・バンド「ザ・ビートルズ」が、「イエスタデイ」以降、甘いメロディーラインのヒット曲を次々に送り出すポールに乗っ取られた。

映画「レット・イット・ビー」でも、それは明らかだ。
やる気満々のポール。それに対してジョンは「ただ、そこにいるだけ」といった雰囲気で、気迫がまるで感じられない。「もう(ポールとの)勝負を投げてしまっている」、そんな感じだ。
いたたまれないから、ヨーコを連れてくるしかなかったのだろう。

どうしても、完璧に仕上げたい作品があったとする。
それを成し遂げるには、彼(ポール)の力を借りるしかない。
勇気を出して言うべきだった。
「キミが必要なんだ」と。
それでも、まだ何かが足りないかもしれない。
だったら、もう一度言えばいい。「キミの本当の力が必要なんだ」と。
才能にも限界がある。それを補い合うのが彼らだったんじゃないか。
 
Words are flowing out like endless rain into paper cup.
They slither while they pass,they slip away across the universe.
Pools of sorrow, waves of joy are drifting through my open mind,
Possessing and caressing me.
Jai guru de va om
Nothing's gonna change my world,
Nothing's gonna change my world.

まるで、何の意味だか分からなかった詩も、自分なりの解釈ができるようになった。
いや、作った当人も、それほど深い意味を込めてはいなかっただろうから、聴いた人の感性で勝手に創造力を広げるのが一番正しいような気がする。



広大な宇宙の営みの中では、時の流れすら、儚いものであり、

止まることのない時間の中では、宇宙の広さも、特別な意味をもたない。

胸を締め上げてくる想いや、逃れることのできない苦しみさえ、ほんの一瞬のできごと。

出会いに見せた笑顔も、別れの日に溢れ出た涙も、とうに過ぎ去り、

栄光や歓喜、興奮やときめきに心を躍らせることもなく、

ぼくは今生きている。
ぼくはまだ生きている。

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