ビートルズ1

じいちゃんはジョンが大好き?
「ザ・ビートルズ」ライブ考察
 
文 ブレイク屋西兵衛
 
 
 
 「ワシントンDCコンサート」
ビートルズのベスト・パフォーマンスだ。
 
 

小学校生活もいよいよ終わりを迎えようとしていた3学期(1973年)、ビートルズが好きになった。
「レット・イット・ビー」「ヘイジュード」「イエスタデイ」・・・・お決まりのように、ポールの曲が好きになっていった。
ところが妙なことに、年をとれば、とるほど、ジョンの曲が気になってくるのだ。それも、初期であればあるほどいい。

この頃の曲はちゃんと型ができていた。ジョンとポールのダブルリードボーカルにジョージが絡むのが王道だったが、ジョン、あるいはポールの単独ボーカルも、そこから大きくは逸脱しておらず、どの曲も、ティーンエイジャーの男の子が始めて本気で女の子を好きになって、ドキドキしている様子が初々しく歌いあげられている。

後 年ポールの大ヒット曲は、「ポール・マッカートニーと仲間たち」みたいなサウンドがほとんどで(ソロで発表すると売れないからビートルズの名前を利用して いたように思う)、「きのうは、うまくいくと思ったんだけどなあ」と、やけに未練がましかったり(イエスタデイ)、「元気ねえなあ、どうした」と自分のこ とは棚に上げて、友人の息子の心配してたり(ヘイ・ジュード)、挙句の果てには、「もう、なるようにしかならんだろう」と完全に開き直って結婚の決意固め ちゃったり(レット・イット・ビー)と、初々しさの欠片すら感じられないものばかりだったけどジョンは最後まで、ビートルズとしての曲作りに拘っていたの ではないか。

ビートルズの地位を決定づけたのは英国では「シー・ラブス・ユー」だが、米国では「抱きしめたい」だ。原題は「アイ・ウォナ・ホールド・ユア・ハンド」。(一度でいいから)キミの手を握ってみたい・・・いや、ほんのちょっとだけでいいから、触れてみたい・・・少年の胸を焦がすような恋を爽やかに綴っている歌なのに、「抱きしめたい」だと意味がずいんぶん違ってくるような気がする。中年おやじが飲み屋でママに絡んでいるようなイメージになってはいまいか。

ショービジネスの世界では、ワールドワイドに稼ぎたいなら、米国で売れないことには話にならないが、ビートルズのメンバーも、当然そのことは承知していただろう。ワシントンD.C.のライブ(1964年2月11日)では、
「アメリカでも、絶対に売れてやるぜ、このヤロウ(猪木風)」
という気概がメンバー全員から伝わってくる。

オープニングは、ジョージの 「ロール・オーバー・ベートーベン」。全8曲の内訳は、ダブルボーカル3、ポール2、リンゴ1、トリプル→ダブル1、ジョンの単独ボーカルはなし。この頃 のビートルズは、完全にロックン・ロールバンドだった(当たり前のようだが後期はそうではなかったように思う)。MCは、 ほとんどポール。一番喋りが上手だから当然だが、この頃は「でしゃばり」感がなく、一生懸命やっている様子がよくわかって好感が持てる。リンゴも手抜きな しでドラムスを乱打し(後年は、「手え抜いちゃってるなあ・・・」とすぐにわかるほどだった)、リーダー格のジョンは一歩下がり気味で、よく全体をまとめ ていた。これこそ、チームワークだ。4人が同じ目標に向かって共に走っている感じが手に取るようにわかるいいライブだった。

 

と ころが1年半後の1965年8月15日、ニューヨークのシェイスタジアムで行われた歴史的なライブ(コンサート会場に野球場が使われたのは史上初)では、 様相が一転している。アメリカでも大成功した彼らは世界的なビッグネームになっており、今更、気合を入れなくても、その地位は不動で揺るぐことはない。

オープニングはジョンの「ツイスト&シャウト」、その後も、「涙の乗車券」「ハード・デイズ・ナイト」「ヘルプ」など、お馴染みのヒット曲は、そのほとんがジョン、あるいはジョン中心のボーカル曲で(7曲)、他はリンゴ1、ポール2、ジョージ0という比率になっていた。ジョンに惚れていたマネージャーのエプスタイン(どうやら事実らしい)が決めていたのかは定かではないが、お揃いのミリタリーも、ジョン一人だけ前ボタンを外し、「いい気になっている」ようにも見える。

まさにジョンの 「一人舞台」的なコンサートだったが、同月6日にリリースされた映画「ヘルプ・4人はアイドル」のサントラ盤には、その後のビートルの音楽やメンバーの力 関係を大きく変えることになる「イエスタデイ」が収録されていた。ビートルズのヒット曲、有名曲=ジョンの作品というデビュー以来の構図が、このとき大き く変わろうとしていたことに、シェイのステージで有頂天になっていたジョンは、まったく気づいてはいなかった。

 

シェイスタジアムでのコンサートの翌年、ビートルズが日本にやってきた。
2ヵ月後のキャンドルスティック・パーク公演がビートルズ最後のコンサートになってしまったという事実を大いに予感させる内容だった。
日本の報道では、「もの凄い歓声で、ほとんど何も聞こえなかった」と伝わっているが、メンバーたちは、「静かなので驚いた。ちゃんと聞いてくれるなら、ちゃんと歌わないといけないと思った」と言っている。ところが、映像を見る限り、
「ギャラもらったから、やってます」
ほとんど、そんなノリだ。リンゴのドラムスなど、ワシントンDCのコンサートと比べると運動量は5分の1くらいではないか。全11曲を30分ほどで歌いきって、サーっと4人は引き上げてしまった。司会を務めたE.H.エリックさんの「それではみなさん、また会いましょう」というセリフが何とも白々しかったが、昔のファンは優しかったようだ。今なら暴動騒ぎだろう。


特筆すべきは、コンサートの内 容ではなく、このときの映像が鮮明なカラーで残されていることだ。日本では著作権の問題で商品化できないようだが、私の知る限り、現存するビートルズのラ イブ映像でカラーのものは、前年の「シェイ」とこの「ブドーカン・ライブ」だけだ。英国、ドイツ、フランス、そしてニューヨーク以外で行われたアメリカの コンサートもすべてモノクロ映像しか残されておらず、日本テレビが製作したこの番組は、海外のマニアからも注目されるものとなっている。
戦後まだ21年。世界で最も売れているミュージシャンを招聘し、カラー番組制作。
昔の日本にはバイタリティーが充満していた。

 

(以下後編へ続く)

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