エンタの帝王

火曜の夜はテレビにくぎ付け! ドラマ「書店員ミチルの身の上話」

偶然手にした宝くじが、2億円の当たりくじだったら?  次回が待ち遠しい~と思える連ドラに、久しぶりに出会った(と言っても、プーケットで見られる日本のドラマは限られているけどね)。

 ドラマのストーリーは、地方都市の書店に勤める平凡な女性、ミチルが、東京から来る出版社の営業マンとの不倫をきっかけに、男の後を追って東京まで来てしまうことから始まる。「歯医者に行く」と偽って出かけるのだが、出がけに職場の仲間に頼まれて買った宝くじの中に、何と2億円の当選券が含まれていたのだ。

これをきっかけにミチルの運命が狂い始める。 最初は、ありがちなラブストーリーね、と思って何気なく視ていたのだが、親や職場に嘘をついて東京へ行き、何と自分を慕う幼馴染の男の子の家に居座っちゃうわ。しかも、そこで思いもよらぬ事件が次々と起こり、不倫の相手は謎の失踪をとげちゃうわ(この男が領収書を改ざんするシーンはリアルだった~)。

殺人か自殺か? 今、ここで何が起こっているの? ラブストーリーかミステリーか? いやいや実話か? 錯覚を起こさせるようなリアリティ。想像を裏切って次々と起こる不可解な出来事から目が離せないのだ。 そして物語は、どのシーンもじんわりコワ~イ。ときにゾクッと鳥肌が立つ。途中にCMを挟まないNHKのドラマなので、最後までトイレにも行けない。とにかく一瞬たりともテレビの前から離れられないのだ。

回を重ねるごとに新たなストーリー展開に惹きつけられていく。 このドラマには、ミチル(戸田恵梨香)の同僚役に安藤サクラ、竹井(高良健吾)の後輩役に寺島咲(すみません、お二人ともお名前さえも存知ません)ら脇の存在感が妙にリアルで印象的だ。

ドラマのストーリー全体に、今まで体験したことのないような新鮮な空気感を漂わせている。音楽も効果的で良い。  しかし、なんといっても私が気になるのが、ミチルの夫を名乗る男。要所要所に、謎めいたその男のナレーションが流れ、伏線張りまくりで「身の上話」をシリアスに盛り上げる。  

ここ数年、NHKのドラマはまれにスマッシュヒットを放つ。日本中の主婦の心を鷲掴みにした長谷川博己出演の「セカンドバージン」(2010年公開)は記憶に新しい。 「書店員ミチルの身の上話」は、もしかしたら明日、私にも起こるかも知れないと思わせてくれるワクワク感いっぱいの「身の上話」。さあ、いよいよ今夜。火曜の夜はテレビにくぎ付け!
放送は終了しました。


いつも心に日の丸

文 ブレイク屋西兵衛

頑張れ!ニッポン!!負けるな!ニッポン!!

スプリンターこそ、もっとも美しいアスリートである。

ただひたすら「速く走る」という、単純かつ純粋な目的のために、無駄の一切ないフォームと肉体。長距離ランナーにありがちな、見た目のひ弱さなど微塵もない、ボコボコの筋肉(塚原のカーフから大殿筋の発達度は、吐き気がするくらいモッコリだ・・・)。観ているだけで、はっきりと伝わってくる爆発的なエネルギーとバーチャルなスピード感。

それにしても北京五輪の男子400mリレー日本チームは凄かった。アメリカ、イギリスなどの強豪国が予選で脱落し、棚ボタで手に入った桧舞台。地球外生物集団(?)のジャマイカは論外として、東洋人の肉体で、よくぞ世界に伍して戦った!

ここまで辛い練習に耐え、日本のスポーツ界では決して派手な存在とはいえない陸上競技をずっと続けてきた以上、「ここで目立たなくて、いったいどこで目立とうというんだ!」
そんな気概が画面からも伝わってきた。

トラック競技で日本が表彰台に立てそうな唯一の種目ではあるが、その可能性は目を瞑って針の穴に糸を通すような確率であることに違いはないだろう。チーム・ワークといってしまえばそれまでだが、第1走者の塚原がやはりすべてだった。最高のスタート、そして、「こうらぁ・・・、たのんだぞぉ・・・・!」っと、すべての気力を込めて次走者・末続に繋いだバトン。たとえ1対1で勝負にならなくても、1+1+1+1が4ではなく、5にも6にもなるというシャープ兄弟理論(?)をまさに実践しての快挙といえる。あらゆるチームスポーツ、いや経済を含め、すべてのジャンルで日本が目指すべき姿ではないか。世界に冠たる日本の復活、そのヒントがこの銅メダルに潜んでいることを日本人は気付くべきだ。

第3走者でインから一気に突き抜けられてしまったが、あのジャマイカ軍団を打ち負かす方法は、ないもんなんだろか。「日本金メダル!ジャマイカ勢を完封!!」、そんなニュースが世界を駆け巡ると思うだけで、わくわくするじゃないか。


最後にどうでもよいことだが、ミスチルの桜井くんを見ていると、金のエンゼルとおもちゃの缶詰を思い出してしまう。私だけだろうか・・・。

 

再評価された「ハズレ曲」
堺 正章 「街の灯り」
                             文 ブレイク屋西兵衛

息でくもる窓に書いた・・・

70年代までは、歌手がバラエティー番組に出演すると必ず一曲歌うことができた。局側は、「歌っていただきますから(歌わせてやる・・という意味)、ギャラの方は・・・」と出演料を安く買い叩き、芸能事務所にとっても実入りは少ないが宣伝にはなるので、この方式は双方にメリットがあったのではないか。ただ、視聴者にとっては、必ずしも聞きたいとはいえない曲を無理やり聴かされ、CMと同じようなトイレタイムが増えるわけだから、ありがたい話ではなかったが、そのおかげで、歌謡史を飾るような大ヒット曲でなくても、露出度の多いタレントが歌っている曲なら、聴く頻度は高く、30年以上経った今でも歌詞を覚えていたりする。

初期のキャンディーズ、フォーリーブス、野口五郎、高田みずえ、榊原郁恵・・・・バラエティー番組への出演で存在感を保っていた歌い手は多かったが、その代表格が女性では和田アキ子、男性は堺正章だったろう(「作戦失敗」だったのがトライアングル・・・知ってっか?)。両者ともトップテン入りした曲がほどんどないにも関わらず、歌手としてメジャーで認知度が高い。そんな堺の持ち歌の一つが「街の灯り」だった。

何年か前に関西電力のCMでリメイクされ話題になり再評価されたが、当時は、カスリもしなかった「ハズレ曲」だった。人気ドラマ「時間ですよ!」の挿入歌で、毎週、人気者のミヨちゃん(浅田美代子・・・吉田拓郎の女房になってしまった)と一緒に屋根の上で歌うという大きなハンデをもらっていたのに、鳴かず飛ばずのまま消えていった曲だ。

ヒットしなかった最大の原因は、堺の代表曲「さらば恋人」と、なんとなく曲調が被っていたからだろう。そして彼の出演していた番組の中では、しんみり、じんわりと心に響いてくるようなこの曲の魅力が伝わらなかったのかもしれない。ドリフターズやコント55号の全盛期で、コメディー色を強く打ち出していた堺も当然同じ流れにあった。ドタバタのギャグを連発する彼とのギャップが大き過ぎたのではないか。

あの頃は、みんなで同じ喜びや幸せを共有していたように思う。同じ番組を見て、同じ曲を聴き、同じシーンに一喜一憂し、手に汗を握っていた。お互いに目に見えない細い糸で繋がっていたようにも感じる。

同じ空の下で広がる街並みは、一見すれば、昔も今も大して変わらないようにも見えるが、その中身は、ずいぶん違ってきているのではないか。威勢良く働いていたおじちゃん、おばちゃんたちは今、おじいちゃん、おばあちゃんになり、賑わっていた商店街は歯抜け状態で単なる「駅前通り」に成り果てている。大きなお屋敷はアパートに変わり、家族4人で暮らすには丁度いい大きさだった戸建が「うさぎ小屋」に小分けされ、一人暮らしが当たり前になった。

温もりや絆
街の灯り一つ一つから、生活の息吹が聞こえてきたあの頃には、絶対に欠かすことのできない大切なものだったはずなのに、今は、至る所で抜け落ちているように思える。そんな時代だからこそ、この曲の本当の価値が見えてきたのだろうか。

誰かを好きになり、ただひたすら好きになって、その人を大切にしたいという思いで胸がいっぱいになる幸福感・・・・・、それを優しく伝えてくれる曲だ。

 
 
貧乏が美しい時代もあった・・・
日本人会のテーマ・ソング(?) 「赤ちょうちん」かぐやひめ

ブレイク屋西兵衛

忘年会を終えて・・・・

あの頃2人のアパートは

裸電球まぶしくて

貨物列車が通ると揺れた

2人に似合いの部屋でした

覚えてますか 寒い夜

赤ちょうちんに誘われて 

おでんを たくさん買いました

月に一度のぜいたくだけど 

お酒もちょっぴり飲んだわね

 

みんなで築いた補習校

みんなで築いた日本人会・・・

 

 

「宇宙兄弟」
世界1を目指して、どこが悪い!!
                                            ブレイク屋西兵衛

日本近海の海が荒れているようだ。誰も住んでいない小島を取っただの、盗られただの・・・。あまりのスケールの小ささにニュースを聞いているだけで、気分が滅入ってしまう。
広大な国土を持ちながら、「あれも、これも、俺たちのもの」とやたら意地汚かったり、支持率目当てに大統領が用事もないのに上陸した挙句、やはり受け狙いで水泳リレーに参加した俳優が日本入国禁止処分を食らったり、本気で奪回する気なら憲法改正&全面戦争以外にないのに(暴力団の事務所に殴り込みをかければ、たとえ勝ってもド顰蹙だとは思うが・・・。当然、大勢死ぬこともあり得る。もちろん、自分の身内も)、口先だけ強気だったりと、ほとんど股間を指で摘みながら、
「これは、チ○毛だろうか?それともケツ毛なんだろうか?」と悩んでいるような低レベルさである。

そんな中で、「宇宙兄弟」を見た。「やってくれたッ!」と快哉を叫びたい気分になった。主演は、小栗旬、岡田将正(なかなかカッコいいです)の「りの君(2007年版「花ざかりの君たちへ~イケメン♂パラダイス~」)」コンビ。

コミックス原作の映画化が最近流行りのようだが確かに面白い作品が多い。紙と鉛筆さえあれば、予算を気にせず描けてしまうから、どんどんスケールアップできるのがコミックスの強みだろう。金のことを気にしなければ、まだまだ日本も捨てたものじゃあないという証かもしれない。

同じ小栗主演の「岳・ガク・」と同様、絶体絶命のピンチを精神力で乗り切って生き返ってしまうところなんかは、ずいぶん虫のいいストーリー展開だし、奇跡の生還シーンは、もっとドラマチックにやってほしかった気もするが、全部許してしまおう。

ドラマ中盤のロケット打ち上げシーンが圧巻である。
「あのでかいロケットの動力を知っているか?それは、人間の魂だ。ロケットに乗り込んだ宇宙飛行士たちの勇気と情熱。それを支える地上の技術士たち。彼らエキスパートの英知とプライド。それを見守る人々の希望と祈り、そして敬意。そうした無数の魂の爆発があの2千トンの鉄の塊を宇宙に運ぶんだ」

まさにその通りだ。興味があるとかないとか、自分がどういった立場でそれを見届けるべきか・・・そんなことは一切関係ない。凄まじいエネルギーを放出し、大気圏を突き破って、宇宙に飛び出さんとするロケットの勇壮さを前にすれば、小栗でなくても、叫んでしまうだろう。
「行けえええええええええっ!!!!!!」
惜しむらくは、これがアメリカ人の金で、アメリカが打ち上げる、アメリカのロケットではなく、日本製だったら・・・。

エンディングは宇宙開発史を追いながら、兄弟の近未来をさらっと描いている。宇宙開発競争の歴史とは、威信と覇権を賭けた米ソ両超大国の意地と意地のぶつかり合いだった(目くそ島や鼻くそ諸島の奪い合いとは、次元が違うわなっ)。世界が驚いたスプートニック・ショック、人類初の有人宇宙飛行とガガーリン、初の女性宇宙飛行士テレシコワ、アポロ計画・・・・。信じられないような話だが、常にソ連が先行し、アメリカが追い上げる展開だった。ソビエトという国は、自国民や近隣同盟国で暮らす人々を貧乏にし、自由と独立を奪い取った挙句に破綻して、自ら滅んだが、そんな彼らにも偉業はあったのだ。

そして映画を見ながら思った。
戦争さえなければ、宇宙開発の主役はドイツと日本だったのに・・・と!
1942年には既にロケットの実用化(V2号)に成功していたドイツは、恐らく1940年代の終わりまでには人工衛星を打ち上げていただろう。そして数年経たずに有人宇宙飛行も実現していたはずだ。ガガーリンの「地球は青かった・・・」という名言もドイツ人がドイツ語で語っていたに違いない。

しかし、その後を日本が猛追したのではないか。もしかしたら、月面に初めて人類を送り込んだのは日本だったかもしれない。「バカな!そんな金がどこにあった!?」と言うことなかれ(因みにアポロ計画は、大金持ち大国アメリカですら腰を抜かすほどの巨費が投じられていた)。

金なら、あったじゃないか!
当時は、満州も、朝鮮半島も、台湾も、樺太も、サイパンも、日本の属国か領土だったわけだから、宇宙開発の資金集めに、全部まとめてアメリカとソ連に売り飛ばしてしまえばよかったと私は本気で思う(ソ連は金がないから、燃料やロケット本体の原料と物々交換になったかもしれないが)。

いや、今からでも遅くはない。争いの火種になるだけの竹島や尖閣は、パーっと気前よく売り飛ばし、その金で火星や金星を目指すのはどうだろう。なんならポイント・カードと横浜中華街、大久保のコリア・タウンもサービスで付けてやる。もしも、どこかの星で新エネルギー資源でも見つかって大儲けできたら、数倍の値で買い戻せばいいじゃないか。とにかく、もっとデッカイ話をしてくれよ。太陽系を突破して、銀河の彼方に飛び出そう。


若者よ、宇宙を目指せ。そして私はキミたちに、この曲を贈ろう!

やっぱり1位を目指そうぜ!

「2位じゃ駄目なんですか」のあの人にも、ぜひ見てほしい、この勇姿!
(注、動画と映画は無関係です)。

 

人類最後の秘密兵器。それは、なんと・・!!

アメリカ映画「バトルシップ」                                                                      文・ブレイク屋西兵衛

アメリカ艦隊及び同盟国の艦船(日本の自衛隊を含む)が合同演習(リムパック)を行っていたハワイ近海に突如舞い降りた物体は、エイリアンの巨大宇宙戦艦だった。圧倒的な科学力で地球軍の艦船を次々と蹴散らしていく侵略軍。それに敢然と立ち向かうのは、この朝、上官から「ワシの娘に手をつけよって、お前はクビじゃあ!」と懲戒免職を言い渡されてしまったテイラー・キッチュくんらが乗船するミサイル駆逐艦ジョン・ポール・ジョーンズ(
ベーシストではなく、独立戦争の英雄から命名されたそう)の乗組員だった。

日本の自衛官、浅野忠信くんらの力も得て、徐々に形勢を逆転していく地球軍。しかし、あと一歩というところで、流れ弾のような敵の反撃に会い、あえなく艦は沈没の憂き目に。これで戦力が尽き、もはや交戦地であるハワイ近海には一隻の軍艦も残ってはいなかった。

ところが・・・・、
あったああああああ!!!
人類を救う文字通りの最終兵器が、まだアメリカに残されていたのだ。しかも、真珠湾に。

「よしっ、こいつで、戦おう」
沈み行く艦から脱出し帰還したキッチュくんらJ・P・ジョーンズ乗組員たちが目をつけたのは、なんと日米戦の降伏文書調印式で使われ、老朽化のため1955年に退役したものの、レーガン政権時の「600隻艦隊構想」で数の不足を補うために1986年に現役復帰し、湾岸戦争を経て1992年に再退役した後は、博物館に転用されていた戦艦ミズーリ号だったのだ!(いくらなんでも、無茶苦茶だ)

しかし、この旧式艦を動かすことのできる人材がいない。キッチュたちが困っていたら、「俺たちが力を貸そうじゃないか」と老いぼれ爺さん・・・・じゃなかった退役軍人のグループが現れた。この土壇場で、しかも全米中に散らばって暮らしていたであろう爺さんたちを、どうやって短時間(半日程度)で集めたかは不明だが、港と艦を繋ぐ巨大な鎖をバーナーを使って自力で切断。文字通り、ザ・スター・スパングルド・バーナーだ!!(アメリカ国歌「星条旗」。直訳だと、バチバチ火花のお星様?凄い国歌だなあ)

軍艦マーチが鳴り響く中(?)、全世界、全人類の夢と期待を背負って、我らが大戦艦が怒涛の出撃だああ!

そして、いよいよ相手に止めを刺すという肝心な場面になって、コンピューターが故障し、40センチ砲弾を砲塔に装填できないというアクシデントが勃発する。
もはや万事窮す、一巻の終わりか、と思われたが、
「こうなったら・・・」
何をやらかすのかと思っていたら、数トンはあろうかと思われる16インチ砲弾を、爺さんたちが数人がかりで人力移動、攻撃準備完了だああああああ!(この大うそつき!!!!)

最後は、虎の子の40センチ砲が炸裂し、UFO軍団の旗艦を見事撃滅。

・・・・と、まあこんなストーリーなのだが、数万光年の彼方から攻め込んできたエイリアン軍団の超高性能宇宙船が地球に降り立った途端、なぜか行動範囲が海上及び海中に限定されていたり、たまに空を飛んで陸に上がったかと思ったら、糸が切れたヨーヨーのような動きで進路にある建物を1つ1つ踏み潰し壊していくという、極めて効率の悪い戦術を展開し、飛行すれば手っ取り早いのに、潜ったり、跳ねたり、カエルのような動きで洋上移動、これを地球側にまんまと読まれ(ここは海上自衛官大活躍シーン)あえなく撃沈されてしまう侵略軍。

そういう無理な展開も、「向かえ撃つのは、我らが合衆国海軍」という映画制作の基本ポリシーに沿っているからで、おそらく米海軍は勿論、関係協力団体、企業、特に兵器製造を担っている巨大企業や退役軍人の会などから、わんさか制作費をふんだくっているからだろう。

どんなに兵器が近代化され、時代が移り変わろうとも、「海軍の主役は、誰が何と言おうが戦艦である」という絶対的なポリシーは捨てられないようで、いついかなる時代でも、軍艦を映画の中心に据える以上、それは「戦艦でなければならない」という海軍魂はいまだ健在のようだ。

戦争に残虐行為は付きものだが、「悪いのは、すべて陸軍」という暗黙の了解が日米共に映画界にはあるようで、特に日本の場合、対米戦がボロ負けに終わった最大の元凶ともいえる帝国海軍が、
「われわれは、最後まで戦争に反対だったんだ。でも、戦っちゃったら、やっぱり負けちゃったんだ」的な主張を三船敏朗演じる山本五十六なんかが堂々と展開していたりして甚だ男らしくないのに対し、かなりデタラメなストーリーだが、とにかく楽しめるのがアメリカ映画である。

それこそが日米の大きな差なのかも知れない。

 

ヤマト発進 !

注意、映画と映像は無関係です。
 
 
翼を失くしたカナリアよ、もう一度、羽ばたけ!
世良公則                                   文・ブレイク屋西兵衛 

中学生の頃、遊び仲間を部屋に入れて恥をかいたことがあった。「ファンキー・モンキー・ベイビー・・・お前、こんなん買ってんのか?」 時代は洋楽全盛だったが、邦楽でも井上陽水や拓郎らフォーク系だったら、「今度、貸してくれよ」とねだられるところを、ロックだと、「ミカ・バンド? 頭脳警察? なんだそれは。内田裕也・・・・競輪選手か?」そんな時代だったのだ。

キャロル(矢沢永吉の出世バンド)のアルバムでさえ、「買った者は、変態あつかい」、それが日本のロックの実態だった。70年代の前中半は、ソロ活動を始めた沢田研二や「太陽にほえろ」「傷だらけの天使」等の音楽を担当した井上堯之バンド等、「なんとなく、ロックっぽい」イメージの曲もあるにはあったし、当時日テレの局アナだった福留功男が歌った「マンジョキ・ロックンロール(「まんがジョッキー」の挿入歌。80年代に安岡力也の「ホタテのロックンロール」として復活)」や「マッハ・バロン」の主題歌(当時では驚異的にハードでイケてた)など子供番組で地味に注目を集めた曲はあるにはあったが、はっきりとロック・バンド的なスタイルでヒットを放ったのは、宇崎竜童のダウン・タウン・ブギウギ・バンド以外にはなく(1975年頃)、しかも、バンド名からも分かるように、初期のヒット曲「スモーキン・ブギ」や「港のヨーコ、ヨコハマ・ヨコスカ」が明らかに「企画モノ」だったため、彼らは「イロ物」の扱いを受けていたのだ。

 「日本のロックも金(ビジネス)になる」これを証明したのが世良公則とツイストだった。日本のロック・バンド史上、自作の曲をヒット・チャート・ナンバー1に送り込んだのは、彼らが最初だった( 「銃爪」1978年)。

ちょうど同じ時期、後の大御所・矢沢永吉もソロでブレイクしたが、その後、メジャーになっていったサザン・オールスターズや甲斐バンドらへ時代の扉を開き、和製ロックの先駆けとなったのは、明らかに世良だったと私は思う。

世良の果たした役割は、日本のロック史上、とてつもなく大きい。「あんなものは、ロックじゃない」と言う人もいるが、それはテレビに出すぎていたからだろう。なぜか日本のショー・ビジネス界は、大物感を出すために、テレビ出演を拒否し、出し惜しみして、話題性だけで引っ張っていく手法が主流を占めてきたが、ツイストは、メジャーな番組に限定していたとはいえ、頻繁にテレビに登場した。まさに一世を風靡した世良公則とツイストだったが、彼らの天下は長くは続かなかった。

重大発表があるというので聞いていたら、「『世良公則とツイスト』を改め、今日から『ツイスト』になります」ズルっときたファンも多かったのか、所属事務所の移籍も影響し、それ以降、世良の人気は明らかに下り坂に入って、再び浮上することはなかった。

そもそも、『世良公則とツイスト」のリーダーがなんで、ふとがね金太だったのか?それじゃあ、甲斐バンドのリーダーも甲斐よしひろじゃなかったんだろうか?内山田洋とクールファイブは?鶴岡雅義と東京ロマンチカ(ネーミングが凄い!)は?謎は深まるばかりである。

そして何年か前、テレビで世良のインタビューを聞いた。「いつも、(客を)煽る曲ばかりやっていたから、ふと感じたんだ。なんか、違うんじゃないかって・・・」何を言ってるんだ、と思った。煽る曲ばっかりの、どこが悪いのか?煽る曲ができる人が、他にいるのか? 「世良くん、バカな考えはよせ。キミには、呆れるくらい強烈な個性があるじゃないか。それを極めることこそ、キミの使命、いや宿命なんだよ」そう諭してくれるレコード業界の大物や実績のある興行師、敏腕プロデューサーは、彼の周りに1人もいなかったのだろうか。

 「じっくり、聴かす曲をやりたかったんだ」というわけで、ここ数年はアコースティック・ギターに入れ込んでいるようだ。ギターのうまい奴なら世界にゴマンといる。バングラーにだっている。どうしても、やりたいなら、スタッフ・パーティーかなんかでやってほしかった(百歩譲って、「新春スターかくし芸大会」か。それなら、ヨッちゃんとのギター・ユニットにも意義を見出せるかも)。「へえー、世良公則って、ギターうまいんだな」野口五郎のように、ファンに自分の意外な一面を見せるという意味では、「あり」かもしれなが、所詮、それでは金は稼げないだろう。いや、ギターの上手い下手は関係ない。ギターを抱えることで、動きに制約が加わり、彼の最大の長所である全身をフルに使ったオーバー・アクションが封じられてしまう、それこそが問題なのだ。

ギターに縛られ、窮屈そうに歌う世良を見ていると、「翼をなくしたカナリア」まさに、そんな感じに見えてしまう。ましてや、座って歌う世良公則なんて、いったい誰が見たいと言うのか(YOU CUBEのコメント欄では好評のようだが)。

日本という国は、一芸に秀でた者が、一芸だけを売りにして生きていくことを許さない風土があるのかもしれない。世良自作の曲には、意味がよく分からないものもあるが、はっきり言って、歌詞なんてどうでもいい。「トゥナイ、トゥナイト、トゥナイ、トゥナイト、今夜こそ、お前を落としてみせる」例の調子でギラギラやってくれれば、それで見ている者は大満足なのだ。

弾き語りバージョンは、クロード・チアリあたりに任せ(すんません。故人でした)、自由になった両手両足を目いっぱい暴れさせて、ロック・ヴォーカルの頂点を極めてくれ。もう一度、羽ばたくんだ、世良公則!

いまだ出撃・・・

40年前の子ども番組主題歌です


「宇宙猿人ゴリ」

宇宙一の天才科学者VSどんくさヒーロー                                                 文 ブレイク屋西兵衛

YouTube 動画

 
「スペクトルマン見たかー」昭和47年春、遊び仲間たちが嬉しそうに話しているのを耳にした私は、「これは見なくては・・・」と思いたったものの、テレビ欄のどこを見ても、そんなタイトルの番組はなかった。焦りながらも2~3週間が経過し、諦めムードも出ていた頃、何か閃くものがあったのかもしれない。「もしや・・・」という思いでチャンネルを「宇宙猿人ゴリ」という奇妙な名の番組に合わせたら、ようやくスペクトルマンにたどり着くことができた。

タイトルからも分かるように、企画の段階では、E惑星から地球を征服にやって来た猿人のゴリが主人公になるはずだったようだ。当時人気のアメリカ映画「猿の惑星」シリーズの影響を受けていたのは間違いなく、顔面の造型も明らかにパクっていたが、予算が貧弱だったので、ほとんど口を動かすことができず、苦し紛れに、手や指を大袈裟に使ったジェスチャーで感情表現していたのを思い出す。

しかし、悪役が主役という余りにも斬新過ぎるその設定がスポンサーに嫌われたのか、誰がどこから、どう見ても完全にスペクトルマンが中心のドラマになってしまったが、題名だけ、なぜか、そのまま残っていた不思議な番組だった。 思えば、あの頃から日本は、「ダメな道」を転がり落ちていったような気がする。

誰かがちょっとクレームをつけるだけで、一定数の支持者がいたとしても、否定されてしまうような世の中になってしまったのではないか。せっかくの名タイトルも「安全策重視」によって、シリーズの途中で「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」に変更され、最終クールでは、何のひねりもなく、単純に「スペクトルマン」になってしまったが、公害を題材にした硬派な内容と共に初期の崇高さが霧散してしまったのは実に残念である。

それでも、最終回は泣かせる。部下であり、たった1人の仲間であるラー1号をスペクトルマンに殺され、失意のゴリは自決を覚悟する。スペクトルマンは「あなたの宇宙一の優秀な頭脳を人類のために役立ててくれないか」と懇願するが、それを振り切りゴリは自爆するのである。

「バカ野朗、オレの知性を、なんで人間なんかのために役立てなきゃならんのだ」追い詰められながらも、最後の意地を貫くゴリの姿に、男の生き様を感じた10歳の私は、テレビの前で一人涙したのである。第二次怪獣ブームの先駆けとなった作品で、私を含め当時の少年たちの支持を集めていたのは間違いないが、今映像を見てみると、「なんで、こんなんが・・・」と言いたくなるほど、スペクトルマンはブサイクなヒーローだった。数あるヒーロー物の中でも最もずんぐりし、短足で胴長、顔も体型も、なんとなく安部サダヲで、カッコ良さのかけらもなかったが、視聴率では常に同時期に放映されていた「帰ってきたウルトラマン」を上回っていた。

時代は「どん臭さ」を求めていたようで、翌年スタートした「ウルトラマン・エース」は、スマートなウルトラ一族の中にあって、なぜか体型がスペクトルマンと酷似していたのだ。対してゴリは、スマートなピンクの詰襟(軍服?)に身を包み、長髪で、遠目には、どことなくミック・ジャガー(1970年頃の)に見えなくもなく、やはり当初はゴリを主役にする予定だったのが、こんなところからも窺われる。

しかし、である。考えてみれば、ゴリ軍団は、ゴリとラー1号の2人(2匹?)しかいないのだ。お互いに大変な思いをして毎週不毛なバトルを繰り返さなくても(特に人間側の損害は甚大で、被害者の数は子供番組とは思えないほど膨大なエピソードもあった)、話し合い解決の道はいくらでもあったのではないか。

ゴリの地球征服の動機は「こんな美しい地球の環境を破壊し続ける人間という生き物は、けしからん!」という至極真っ当な理由からで、「公害をばら撒く人間を、公害を使って滅ぼす」という因果応報的な作戦も共感を呼ぶところだったが、そもそも、相手は猿なんだから、征服されたところで、人間の女性が陵辱されることはないし、オスが2匹では繁殖もできないだろう。
いっそのこと、どんどん侵略してもらえば、世界の環境破壊はストップでき、「全部あなたの言うとおりにしましょう」「好きなだけ土地でも何でも使ってください」とか言って、シベリアの荒野、サハラ砂漠、アフリカやアマゾンの未開の地でもあてがっておけば、彼ら2人で立派に開発してくれたのではないか。

ゴア元米国副大統領と即席ユニットを作り、ゴリ・ゴア・コンビで売るのも悪くないだろう。主役の座こそスペクトルマンに奪われてしまったが、ゴリの存在感と魂はエンディング・テーマに生きていた。

惑星Eから追放された
そのくやしさは忘れはしない
宇宙を旅して目についた
地球を必ず支配する
「ラーよ 攻撃の時は来た」
「ウォーッ」
私は科学者宇宙猿人ゴリなのだ

だれにも負けない頭脳があれば
どんなものでもおそれはしない
万能椅子の威力見せ
人類征服くわだてる
「ラーよ さあやれ」
「ウォーッ」
私は帝王宇宙猿人ゴリなのだ

 自分の理想と目的持って
 強く生きてるそのはずなのに
宇宙の敵だと言われると
身震いするほど腹が立つ
「我々の力の程を見せてやれ」
「ウォーッ」
私は科学者宇宙猿人ゴリなのだ 

少年時代は1番の歌詞をよく口ずさみ、プーケットでも、それを原動力として、ここまで生きてきたが、最近は3番の歌詞に大いに共鳴するこの頃である。いつの日か、我々の力の程を見せてやるぞ・・・・。



もう一度見たくない名画

「真夜中のカーボーイ」
文 ブレイク屋西兵衛
 
中学生の頃(1974年から1976年頃)は、かなり映画にはまっていた。
週末になると名画座(古い映画を2本立て、3本立てで上映し、料金は300円程度)に通い、片っ端から映画を見続けた。

当時はパニック映画がヒットし、アメリカで「大作ブーム」が起こっていた。映画不況で予算をかけない地味な作品が多かった時代が終わり、久しぶりにハリウッドに活気が戻ってきていたが、中学生の私はその流れに逆行するように、60年代後半から70年代前半に作られたニューシネマという作品群を好きになっていった。

「イージーライダー」「卒業」「スケアクロウ」「俺たちに明日はない」「いちご白書」「バニシング・ポイント」・・・・。
若手監督、無名俳優を使って低予算、大規模なアクションシーンは無く、社会問題を鋭く突く題材、主人公は反体制派。そして思わせぶりなラスト・シーンが多かったように思う。クラスの人気を独占する美少女や明るくて輝きのある女の子には見向きもしないで、教室の隅で1人静かに座って読書している地味な女の子を好きになってしまったような話だ。

中でも最も気に入ったのは、ダンスティン・ホフマンとジョン・ボイドが主演した「真夜中のカーボーイ」だった。
テキサスの片田舎から「都会の金持ちマダムに体を売って大儲け」というウソ臭い話を真に受けて、ニューヨークに、のこのこと出てきてしまった若者(ジョン・ボイド)と、街の底辺でドブねずみのような生活をしている男(ダスティン・ホフマン)の奇妙な友情を描いた作品だ。

映画ファンのアンケート等では、アラン・ドロンやロバート・レッドフォード、ジャクリーン・ビセット(きれいだったなあ・・・)らが上位を占め、あのブルース・リーも、バリバリにリアル・タイムだった時代に、どういうわけか、映画通と呼ばれる連中には、この作品を熱烈に愛した者が多かった。

当時はビデオもDVDもなく、もう一度見たいと思ったらテレビ放映か、名画座に行くか、リバイバル上映を待つしかチャンスはなかったが、この作品がかけられる映画館は、ほとんどなかった。それでも、10回近くは見ているだろう。

何度見ても感動し、だからこそ、繰り返し見に行ったはずなのに、今思うと、何がそれ程よかったのか、あまり思い出せない。年をとっても、昔のことなら、よく覚えているはずだが、自分がどんな気持ち、感覚でこの映画を追いかけていたのか、ほとんど覚えていないのだ。
酒や女、銭儲けにうつつを抜かす日々を送っているうちに、青春の苦悩も、煌きも、すっかり消え失せてしまったのか。

ラストは確かにジーンとくるが、それはジョン・バリーの音楽がかなり影響しているし、ニルソンが歌う挿入歌「エブリバディ・トーキン」も忘れられない名曲だが、それに匹敵する内容が果たして映画にあったのかどうか・・・。

都会の片隅で、地を這うように生きている男たちの姿が、なんだか無性にカッコよく見えた(ような気もした)が、都会で定職にも就かず、ぶらぶらしていれば、いろいろ問題が起こるのは当然だろうと今なら思う。ラッツォ(ホフマン)の真似をして、びっこを引く練習なんかしていたのも、なんとも恥ずかしい思い出だ。

「これこそ名画中の名画、最高の傑作だ」
と肩に力を入れて、映画仲間たちと暑っ苦しく語り合った少年時代が懐かしいが、
「本当に、そんなにいい映画だったんですか?」
と若い人たちから問われれば、
「・・・なかなか、渋い映画だったような・・・」
と甚だ自信がない。何しろ、当時は左翼全盛の時代で、ベトナム戦争も終わったばかりだったし(「ベ平連」って知ってっか?)、連合赤軍やら、よど号事件やら、世相も暗かった。この映画にぴったりの「地味さ」が世の中にあったのだろう。

ダスティン・ホフマン主演作が「名作」と同意義語だった時代はとうに終わり、ジョン・ボイドは、「金になれば、仕事を選ばず」というポリシーに徹しているのか(偉い!)、パール・ハーバーで大統領役をやっていたかと思ったら、ジャングルでアナコンダに食べられてしまったり、もはや「何でもあり」の状態だ。

21世紀の今、50歳の自分が、もう一度見て、どんな感情が熾るか試してみたい気もするが、やめておいた方が賢明だろう。昔好きだった女が忘れられず、数十年ぶりに会いに行くことほど愚かなことはない。
この映画は自分にとって大切な作品であることは間違いないが、だからこそ、「再会」して、「しまった・・・」と後悔したくないのだ。
「もう一度見たくない名画」
それが、「真夜中のカーボーイ」だ
 
 
 
 
最近の紅白歌合戦は凄いぞ! 文 ブレイク屋西兵衛

何年か前、衛星放送で友人たちと紅白歌合戦を見ていたら、知らない歌手ばかり登場してくるので、大荒れになってしまったことがあった。 whiteverry?akio?中村美津子?花花?伍代夏子?「おい、いいかげんにしろよ。オレたちを何だと思ってるんだ!知ってる奴を出さんかい(SMAPすら、知らなかった)!」

当時は「若者向けの1部」と「年寄り向け(?)の2部」に分けて製作されていたせいか、前半は、「これはいったい、どこの国の紅白さね」状態で、一緒に見ていた仲間たちの不満は爆発寸前だ。2時間以上経過して、ようやくビッグ&オールドネーム(失礼)の松田聖子が現れたときは、「おおおおお!!!!!!セイコだー!せいこだー!!聖子だあああああああ!!!!」全員で抱き合うように大喜びした。

私くらいの年(50歳)になってくると、「好き」とか「嫌い」よりも、「知ってる」「知らない」で評価するようになるから、聖子ちゃんのような同世代は実にありがたい。「2部制」は、プーケットに限らず、全世界的に不評(?)だったようで、すぐに元のスタイルに戻ったが、このときの落胆が大きかったせいか、その後、しばらくは、「紅白」を見ることはなかった。

ところが先日、友人からDVDを借りて、ここ7年間の全場面を見る機会があった。そして、大いに驚いた。しばらく見ていないうちに「紅白」は、劇的な進化を遂げていたのだ。 まず、一言で言えば、「豪華」。日本は、何事も「みみっちい」ことにかけては有名な国だが、「紅白」だけは違っていた。これほどの歌謡祭は世界的に見ても他にないだろう(NHKホールに「金かけすぎ」という愚かな批判も出そうだが、無視してちょうだい)。

特にセットが凄い!「ザ・ベストテン」「夜のヒットスタジオ」「ミュージックフェアー」・・・かつての民放人気歌謡番組は、すべてスタジオ制作で、本当に生放送だったかどうかも怪しいものだったが、それらを遥かに上回る大規模なセットを生のステージ上で次から次へと惜しげもなく、どんどん転換していく。まさにゴージャス!照明も凄い!セッティングだけで数日かかっているのは確実で、しかも、移動式のものも多く、本番中にアクシデントが起こったら万事休す、チーフの首が飛ぶのは確実だろう。

同じセットでも、照明の色と角度を変え、カメラ位置を移せば、まったく別の雰囲気になるから不思議だ。番組の構成は、基本的には「今ウケ」している人たち中心に流れていくが、「おじさん層」が飽き始める頃合を見計らうように、演歌を混ぜたり、昔懐かしい顔ぶれを呼んできたりと、なかなか考えた内容だと思う。

舞台の裏方をやったことがある人なら、誰しも驚嘆すると思うが、生放送4時間の間に40組以上の演者を登場させ、秒刻みのタイムテーブルに沿って舞台を回していくのは人間ワザではない。舞台裏では、製作スタッフたちの、もの凄い怒号が飛び交っていることだろう(最前列近くのお客さんには聞こえているはず!)中でも最大の見所は、出場者の「真剣勝負」感が見ているこちらにも、ひしひしと伝わってくることだ。生放送の一発勝負、出演者全員が気合入れまくりで、万全の準備を整え ベストの状態で挑んでくる「紅白」では、「実力の差」が誰の目にも明らかになり、関係者、特に歌っている本人たちが一番それを感じるだろうから、生半可な気持ちでは出てこれない。

一時期、「紅白」出場を拒否したり、辞退することが歌手の商品価値やステイタスのアップに繋がっていた時代もあったが、進化を遂げた今の「紅白」では、もはや、それは通用しないだろう。なんやかやと理由をつけて出場を断り続けている大物シンガーもいるが、要するに、「あの場所では、いかにも分が悪い」と悟っているんじゃないか。

もしも、自分の歌に絶対の自信があるのなら、「同じステージ、同じ条件」で「自分の実力を見せ付けてやろう」、きっと、そう思うはずだ。「本物のプロ」なら間違いなくそうだろう。最後に、過去7年間のハイライトシーンを2つ。

一つは2007年のGackt「RETURNER~闇の終焉~消え逝く武士への鎮魂歌」。明らかに大河ドラマの宣伝を兼ねていたが、「ここまで、やっちゃうの?」と思えるほど凝っていて、実際のドラマより、「よっぽど制作費使ってるんじゃないか?」と疑いたくなるほどの大作だ。大河ドラマでの演技より、このステージのほうが100倍カッコよかったのは言うまでもないが、さすがにスタジオ収録だった。

そして、もう一つは、同じ2007年で大トリを務めた五木ひろし。それ以前の数年間、五木は、明らかに精彩を欠いていた。「扱い」も、森進一よりは上だが、明らかに北島サブちゃんやSMAPの風下に置かれており、一応、「大物扱い」はされているものの、それほど重要でもないポジションで、「淡々と出番をこなす」、そんな感じだった。

ところが、この年の五木には、鬼気迫るものを感じた。やはり、モチベーションは大切だ。東京ドームであろうが、場末のキャバレーであろうが、お客さんがいっぱい入って、ノリが良ければ、燃えるだろうし、逆なら、やる気もなくなる。日本のショービジネス界の最高峰「紅白」のしかも「大トリ」。一世一代の桧舞台に返り咲いて、「男、五木ひろしが日本列島一億人の夢と期待を背負って、今年の芸能界を締めくくらせて頂きます」はっきりと、顔にそう書いてあったのだ(ホントだぞ。ぜひ見てちょうだい)。

さあ、みなさん、今年もいよいよ「紅白の季節」がやってきた。大いに楽しもう!